フリーランスで月収45万円 → 60万円になった話
少し前のブログに書いたように自社開発企業に「辞めせてください」と申し出ると その度に報酬が上がった…という経緯もあって、恐れながら 当時の月収は45万円になっていたのですが、、それから約4〜5年間は報酬の話などはせずに働かせて頂いてました。
その頃には、僕の担当範囲としては その企業の販売するパッケージソフトのかなりの部分になっていたと思いますが、加えて その会社を通して開発依頼のあった別の会社の業務用システムを個人的にまる受けしていたり、パッケージソフトもクライアントサーバー型からウェブ化するなど…かなりの仕事量をこなしていたように思います(辞めたいなどとは とても言い出せないくらいジョブを抱えてるような状況が続きました)。
そんな中、その会社に中途採用の社員が2名入社して来られたのですが…そのうちの1人がプログラマーとして優秀な人物でした。社内的にも信頼も徐々に集めていき、、そんな時、とある重要なプロジェクト開発の話があったのですが…僕は当然メインプログラマーになるんだろうと思っていたのですが、、社長が指名したのは僕ではなく彼でした。エンジニア人生で唯一この時だけ、人に仕事を取られる…ということが起きたのです。。
大きなショックを感じる反面「これから先は彼を中心にシステムを作っていくことになるんだろう」という現実が…実は少し嬉しくもあり、なぜなら彼は後輩のように可愛く思っていた人物でしたし、この状況が進めば…ようやく この会社を辞めさせて頂く時期もくるかもしれないな…と思ったからです。
辞めたかった理由
なぜそんなに辞めたかったかというと…会社員を辞めて独立する際、僕は「自分の力を試したい」「実力社会に出て行きたい」と言う気持ちが強く、ただ…この自社開発企業にいる限り なんとなくまた囲われた空間の中で仕事をしているような…そんな感覚になっていたので「この会社が嫌で」という訳ではなく、もっと「自分の力で」とか「自分の設計で」とかという感覚が強く…そういう理由で辞めさせて頂きたかったのです(人生は一度きり…そういう力試しのできる機会も多くないのではないかと)。
またアップ!?
そういうこともあって その会社との契約を5年位続けさせて頂いた頃、再び「辞めさせてください」と、今度は本気で辞めたい意向をお伝えさせて頂いたのですが、それに対して返ってきた返答は…
「じゃ、10万円あげてあげるよ」
でした、、汗
さすがに10万円のベースアップは押し切るのも大変で、、結果的に月収は55万円になったのですが、、しばらく仕事を続けてみても、やはり気持ちが変わることはなく…再々度 辞めさせて頂きたい旨をお伝えしたところ…
最後の3ヶ月間
「じゃ、60万円にしてあげるよ」
と言われまして、、ただこの時ばかりは「大変ありがたいのですが、でも3ヶ月後には辞めさせて頂きたいと思いますが…それでもよろしいですか?」とお返事差し上げてみたところ「いいよ、わかった」とご承諾頂きまして。。それで最後3ヶ月間は契約料60万円で働かせて頂く…ということになりました。
(その頃にはもう、上記の優秀な社員の方も かなり色んなプログラムを手がけるようになっていて(個人的にはそれも意識して仕事は進めてたつもりでしたので)自分が抜けても、まぁ大丈夫かな…と言う感覚もあって、わがままを言わせて頂くことにしたのです)
自己嫌悪
しかし、こうして文字に起こしてみると、自分はなんて冷たい男だと、、少々気に病まないでもないですが、、こちらの会社様はその後も随分と進展されたようですし、今でも取引がない訳でもないので…コロナ禍が落ち着いたら社長に連絡して 昔話でもできると良いのかな と思ってます。
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[…] 1993年4月 東証一部情報企業に入社1996年3月 東証一部上場企業を退社1996年6月 個人事業主 エムエスデザイン として開業1997年10月 フリーランスプログラマーとして某 自社開発企業と契約→ 自社開発企業と月35万円で契約した話→ フリーランスで月収45万円になった話→ フリーランスで月収45万円 → 60万円になった話起業家としてのプロフィールはこちら […]
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